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2025年を振り返る

  • 執筆者の写真: Giro
    Giro
  • 2025年12月26日
  • 読了時間: 4分

フリーカメラマンとして生計を立てるようになって6年目の2025年



2024年の夏過ぎから引きずっていた

色々なトラブルはさらに問題を複雑化し

年明け1月2月は毎日毎晩そのことに悩まされ

正直まともに寝れない日も多く、辛い日々だった。



そういう中でも、撮影に行くことができたのは

自分の写真を望む人がいて、自分の写真に元気をもらったといった

声が届いていたからだ。


といっても、自分でも無理をしているなと感じることも多く

結局それは夏ごろに最悪の形で幕を閉じた。


今ここに詳細を書く気はないが、撮影依頼があって良い関係が築けていた

とあるスポーツのクラブチームとの決別だ。


フリーのカメラマンは、技術職でもあり、便利屋みたいなもので

長年の関係性があるところ以外は

こういう写真がいる、こういう撮影が必要、そういう時に声がかかる。



自分の立場は分かってはいるが、それは別に

自分を使い捨ての道具だと認めているわけでもないし

どんな扱いをされても当然の存在だと受け入れているわけでもない。


自分の腕が未熟で仕事を切られても、それはもちろん仕方がない。

しかし、一人の人間として最低限の扱いすら受けられないとなれば

話は大きく変わってくる。


そんなわけで我慢の限界を超えて(本当はとっくに超えていたが)

完全なる終わりを迎えたのだが、何とも面白いもので

そういう最悪の状況下で、むしろ信頼関係が強固になった人もいた。



前向き、という言葉がある。

過去を振り返ってぐちぐちと落ち込んだり恨んだりせずに

未来を見てポジティブ思考、そんな意味合いで使われる言葉だろう。



だが私個人は、むしろ過去を見ることが未来につながると思っているので

過去ばかり見る後ろ向きであって、そこで得た教訓を武器に未来に向かう。


酷い扱いを受けて絶望したからこそ、出会えた人や

本当に信頼できる人と仲良くなれた気がする。





そんなこんなあって、その少し後には、福岡で豪雨に遭遇もした。


宿まで戻ることができず博多駅で立ち往生、付近の宿は全部埋まり

漫画喫茶もネットカフェもカラオケも入れず

結局駅前で野宿した。


今の季節だったらと思うとぞっとするが、幸いその時は

若干蒸し暑いが、雨に冷まされた夜風が程よく涼しい

そんな気候だったので思いの外、ダメージはなかった。



その後は関東遠征で、荷物を無くし

届けられたのが終着駅で取りに行くことはできるも最終の新幹線に

間に合わずに、急遽延泊することになったり

まあ踏んだり蹴ったりの一年だった気がする。


それなのに、不思議なもので振り返ると

楽しかったこと、嬉しかったことがいくつも思い出される。



スケジュールがけっこう厳しい時期には

体調も崩しかけたがどうにか持ちこたえた。


ふっとした空きがあった期間に

神戸の街をフイルムカメラ、それも初代のNikon FMをもって

散歩したのは、良いリフレッシュになったと思う。


なお、レンズはAi NIKKOR 28mm F2.8

フイルムはportra160を使っている。


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朝日ホール前の空間。朝日ホールに少しだけ用があったのもあり。


都会で人が少ない光景は少し異質だ。

田舎の場合は、人は大自然の中で生かされているんだな、と感じることもできるが

コンクリートジャングルでは、主役が誰なのかもわからない。



普段がZ9で連写、みたいなことも多いだけに

たまに使うフイルムカメラには、撮影者の呼吸が入る。


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ここで撮ろう、と決めて、フイルムを巻き上げ

シャッタースピードと絞りを決め、MFレンズを動かしてピントを合わせ、撮る。


慣れてなければモタつくし、慣れてくれば流れるように一連の流れができる。


速いから良い、というわけではなく、その間、時間すらも

フイルムには記録されたかのような錯覚を覚える。



色々あった一年だったから、というわけでもないが

フイルムに、いやデジタルであっても、写真に記録したことは

自分の人生にいったい何の意味があったのか、と考える。


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日が落ちてきた時こそ、光を強く意識する。


ポエトリーリーディングの神門さんの「紅しょうが」という作品で


生きるっていうのは死に近づくことじゃなく

生まれた日付から遠ざかっていくこと


というフレーズがある。


我々は生まれた時から死ぬ時まで少しずつ未来に向かって進んでいる。

だから人は「前向き」であるべきなのだ、と言われるのかもしれない。


でも、本当はそうじゃなくて、生まれたところから

ちょっとずつ遠ざかって行くのであれば、死を見つめ

死に向かうよりも、生まれたことを日々見つめ返す

そんな「後ろ向き」であってもいいのかもしれない。



そして、その時々で、我々は思い出を作ったり、記念や記録を残す。


写真が記録のためのものであるなら

まさにこれほど「後ろ向き」であって

遠ざかっていくものを見つめるものも少ないだろう。


2025年も残りわずか、もう少しだけ写真を撮って

そして2026年に入っていく。


でもきっと私が見ているのは

2026年や、その先よりも、過去のことなんだと思う。


カメラや写真がそうであるように。

 
 
 

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