昨日NFT作成についての記事を書いたのですが
よくよく考えると普段の私の投稿と関係の無い話が突然出てきて なんのこっちゃと感じた人もいるかもしれませんね。 というわけで改めてNFTについての解説です。
といっても私の主観とフィルターを通しての解説なので もっとフラットにもっと詳しく知りたいという方は 他のところでも調べてみてくださいね。 特に、NFTに関してはまだ新しい技術であることもあり 細かい部分での考え方の違いや技術面、運用面においても 未解決未確定の部分も含まれている可能性があります。 本稿で触れている内容は大まかな説明でしかなく、今後 今とは異なる形に進化、変化、解釈されていく可能性を含みます。
税制上の取り扱いについてもまだ未定であると思われますので
製作、売買益などの扱いについては十分にお気を付けのうえ
税理士、税務署などにご相談されることをお勧めいたします。
最近の日本のニュースで話題になるNFTといえば 「一枚の絵(のデータ)がこんなに高値で売買された」とか 「子どもの描いた落書きなのに信じられない値が付いた」といったものばかり。
なんだかお金になる話だとか投機的なニュアンスばかりが先行して それって言いかえると「怪しいビジネス」みたいな匂いがして残念…
改めてNFTについてもっと根本から書いてみます。
1.デジタル化のメリット
そもそも今の時代って、デジタル化が進んだコピーが簡単にできるわけで
私はカメラマンなので毎年撮った写真が何十万枚と増えていくのだが 万が一PC、HDDが壊れてデータが消失してしまうことが怖いので 撮影したデータは、できるだけ速やかに 複数のHDDやオンラインストレージにバックアップするようにしている。
昔のフイルムカメラだったら、ネガの保管に頭を悩ませていたわけで デジタルってなんて便利なんだろうとありがたく感じている。
これは絵を描いておられる方も同じだろう。 デジタルで絵を描いていたら、場合によっては途中まででいったん保存して そこから書き換えるたびに何バージョンもその都度コピーを保存して やっぱりここは書き加えない方が良かったな、と戻ったりもできる。 紙で同じことをやろうとしたらとんでもない労力がかかってしまうし それも同じものが簡単に複製できるわけでもない。
そう考えると絵や写真に撮ってデジタル化ってありがたいねーと 思う方が多くて当然だと思う。
同時に、例えば 写真集、画集、1点物の絵画、あるいは電子書籍など そういった作品を購入された方にとっても デジタルであればバックアップが容易なので 「傷まないように保管しなきゃ」みたいな心配が要らない。 (紙媒体の方が好みだといった嗜好の部分はあるにしても)
デジタル化って良いことたくさん!
ではあるんだけど、ちょっと待てよ…となることもある
2.デメリット 本物はどれ?
カメラマンやデジタルで絵を描く人間にとって自分の作ったデータが消えてしまう これほど恐ろしいことはないわけだが、実はそれと並ぶほど頭を悩ませる問題が 「盗作」あるいは「無断転載」である。
例えば私がtwitterに写真を載せたとする。 私のtwitterの影響力なんていうのは日本全体でも下位から10%くらいには入っているだろう代物で、要するに載せたところで見る人も少なければ反応もあまり返って来ない事が多い。
しかしその写真を、たまたま誰かが見て保存し、自分のアカウントに無断で転載した結果 そちらでは反響があった、というようなことが起こるかもしれない。
もしこの誰かがかなり影響力のある人だったら すさまじい反応が返ってきて話題になるかもしれない。
私からすれば「おいおいちょっと待ってくれよ」と言いたくもなる。 (もちろん反響の大小に関わらず無断転載は著作権的にNGだが) 「いや、勝手に人の写真を使わないで」とか「それ撮ったの私だから!」と言うだろう。
もちろんこの場合には カメラが撮影時に写真データに埋め込むメタデータ(exif)を保持している私の方が オリジナルの撮影者であると証明はできるし、この機材で撮りました と機材を並べて見せても良い。
とはいえ、一見しただけではオリジナルと全く同じデータを 第三者が保存し、使用されてしまうというリスクは存在しているし こちらがオリジナルであるという証明にもかなり手間取りそうなことは十分に予見される。
絵の場合も同様だろう。 自分が描いた絵なのに、他者が勝手に使用したり あるいは「私が描きました」と堂々と宣う盗用者が出てくるかもしれない。
世界に1枚しかない手書きの絵でそれをやろうとしたら 忍び込んでその絵を盗み出すくらいしか方法はなく、犯人側も相当なリスクと労力を伴うが いかんせん前述の通り、デジタルデータのコピーは一瞬、そして(ほぼ)完ぺきに原本と同じ 絵や写真データが複製されてしまうのだ。
犯人は家からでることないどころか、スマホをちょいと触るだけで そういった行為ができてしまう場合も多いだろう。
もしこれが販売作品だった場合、購入した人としてはどうだろう。
自分が気に入ったアーティストの作品を購入して 幸せをかみしめていた折、それを勝手にコピーされてネットで好き放題使われたとしたら。
それなりの価格で購入した思い入れのあるデジタル写真集 しかし悪意ある無断転載者がPDFでそれを全部勝手にアップしているのを知ってしまったら なんだか、自分が大切に感じていたその作品 そして自分のファンとしての気持ち、思いまで、価値を落とされたような
もっといえば踏みつけられたような気になるだろう。
本物と同じものがすぐにコピーできる、というメリットは 前述のようにバックアップ作業などで十分に感じるところはあるが それに伴い、本物・オリジナルであることの価値、大切さが随分と薄れてしまったような気もしないだろうか。
3. NFTとは
上述の如くコピーでもオリジナルでも違いが無いような 言ってしまえばコピーで代用が効くものに対して 代替が効かない「非代替性トークン」これこそがNon-Fungible Token、そうNFTである。
細かい技術は私も100%解説できるほど知識があるわけでもなく 実際の使われ方や作り方にも微妙な違いもあるので大雑把にだけ書いておくが
端的に言えば、絵や写真データに
「これはXXさんがいつ作ったもので、今は〇〇さんが所有している」 という証明書を埋め込む技術だと考えてもらえばよい。
※ただし、現実的な絵画と違い、デジタルデータの内枠での話なので 絵そのものというよりも絵のデータに紐づけられたトークンの所有権の話である。
このトークンの発行元が絵の作者と同じである、または契約等を交わし 正規に発行されたものであるかについては別問題である。 (ネットで他者が投稿した写真を保存し、それを勝手に使用して写真集を使っている といったケースがある場合、このデータはその写真集の何枚目の写真のトークンであり、写真集から勝手にコピーされたものではない正規のものだという所有権は証明できるが その写真集に掲載された写真が正規に撮影著作者から了承を得て作られたものであるかは 別問題であるのでその点は、非常に複雑化しており、今後の対応が望まれる)
そしてその証明書はある種のネットワーク上の分散型台帳に記載されることで
改竄ができなくなる(つまり証明書の信頼性がこの上なく高まる)というもの。
分散型台帳やブロックチェーンの話はそれこそもっと本格的な専門家の方々に 解説してもらった方が絶対に良いのだが ざっくりといえば、世界中の多数のコンピューターに関わってもらって 相互監視・確認することで改竄や偽装ができなくなるし 暗号化して分散化すれば匿名性も高まるでしょ、といった感じ。
この技術が先ほどまでの話とどうかかわるだろうか。
そしてなぜ注目されるのだろうか。
今までの例に沿って言えば 例えばあるデジタル絵画を描いているアーティストや 写真家さんの作品があって、これ欲しいな、と思った時に その「絵」や「写真」そのものが欲しいと同時に 「そのアーティストが生み出した本物」が欲しい、というのは 人の心の中で同時並行的に存在するだろう。
例えば、憧れの作家さんの出版記念イベントに行って 購入した本にサインをしてもらう、といった感覚がそれだ。
本が読みたいだけならネットでポチッとすれば翌日には届くし 電子書籍ならクリックしてすぐダウンロードが始まり読み始めることができる。
しかしこの作家さん本当に大好きだから この作家さんに手渡ししてもらいたい、サイン書いてもらいたい という気持ちはファンなら当然の如く湧くだろう。
作者に目の前でサインを描いてもらった本は、一生の宝物になるだろう。
さて、古本屋で、あるいはネットオークションなどで たまたま見かけた本に、作者のものらしきサインが書いていた。 この場合はどうだろう。 このサインって本物…? 誰だってそう思うだろう。
NFTはそこを疑わなくて良い。 そのサインが書かれた瞬間からずっと世界中の人に見守られ 「間違いなくこの本は作者さんがいついつサインした本ですよ」 と証明されているわけだから。
ベストセラーなら本の内容自体は 全く同じものが日本中、場合によっては世界中に出回っている。
電子書籍版も出ているかもしれないし、どこかの悪い人が 著作権を侵害して無断転載しているかもしれない(ダメ、絶対)
しかし、世界に1つ、あるいは少数しかないサイン本で しかもそれが絶対に間違いなく本物である、と証明されていたら それは所有する人にって非常に大きな喜びではないだろうか。
また作者にとっても 「あれ、自分その本にサインしてないんだけどな…」なんて偽物が出回るのは 気持ちのいい話ではないが、サインした時からしっかり証明し 見守ってくれるのであれば、安心感があるだろう。
NFTとは、そういう技術なのである。
私は自分自身のカメラマンとしての経験も含め ネットを使っていて無断転載被害などを目にすることもあり この技術について大いに関心を持った。
例えば、誰かが撮った奇跡的な瞬間の写真、面白写真 あるいは魂を込めて描いた渾身の一枚、どうせならみんなに見て欲しい 見せたい、という思いが湧いて当然だがネットにアップした瞬間に 無断転載のリスクが伴うというのはあまりにも寂しい。 それを警戒して結局アップしない、日の目を見ない、というのも悲しい。
NFTは絵や写真の画像データ部分自体をコピーすることを防ぎはしない。 コピーライト、著作権の話とはまた少し違う話だ。
だが、少なくとも「この絵はこの時にこの人が描いたものです、間違いありません」と
世界中から証明してもらえるのは画期的なことではないだろうか。
私は今回、自分でも絵を描く友人と組んで NFTを発行する側に回る過程でそのことを強く感じた。
盗用や転載のリスクを減らす、少なくともそういった事が起きてしまった時に この人が間違いなく作者です、と証明してもらえるのであれば きっとこれから発表する側の心理的負担は大きく減るはずだ。
便利な部分は残しつつ、でもちょっと困るな、という部分を補う そんな技術の進歩は、いつだって人類を、そしてその心を豊かにしてくれているはずだ。
私が素人ながらに、NFT作りに参加したいと思ったのはそういった背景がある。
※ しかし前述の通り、NFTの証明は発行した(絵や写真と紐づけられた)トークンに対してなされるものであり、その絵や写真そのものの所有等についての証明ではない。
例えば今悪意のある誰かが人気アーティストの絵を勝手にトークン化して作成、販売した際に「この絵の作者はトークンの作成に同意しましたか?権利などを明確にして契約されたものですか?」という部分の検証が最も大切なのだが、それが無いままにそのトークンが販売されてしまうリスクもある。
こうなってしまうと逆に著作者の権利を侵害した行為になってしまう。
また、その結果例えば著作者が認めない、著作権侵害であると訴えた場合には、その絵そのものを所有する権利を得たわけではないため、大金を払って購入したのに、トークンに紐づけられた絵が削除されたり、差し替えられたりする可能性も無いわけではない。 いわば「無許可販売された」ということの証明書だけが残るというリスクも考えられる。
100%理解しているわけではないので、正確性についてはこの記事だけで判断して欲しくはないが、NFT製作過程において、この検証部分についてもっと確実性を上げる必要があると私は考えている。
原作著作者、製作する側、売買、コレクションする側すべてがきちんと理解し 納得した上でのやりとりとなれば、またそうなるべくシステムが正確に機能すれば 非常に有効な手段であることは間違いないのだが、問題が内包されているかもしれない というリスクについては予めよく知っておかなければならない。
4. 最後に価値の話
さて、ここで終われば奇麗なのだが、一応書いておこうと思う。
冒頭に書いたように、今現在NFTの話をする際につきまとう「価値」の話だ。
絵や写真自体をコピーすることを防ぐわけではなく あくまで「この絵や写真データを使ったトークンはこの人がいつ作ったものです」という証明が付帯しているだけ、 なのになぜそんなに信じられないような価値が付くケースがあるの?
当然の疑問である。 というか正直私もそう思っていたし、今も少し思っている。
ただ、考えても見て欲しい。
もし今古書店で、いや田舎の親戚の家の蔵の奥からでもいいが 例えば夏目漱石や芥川龍之介の初版本みたいなものをみつけて そこにサインが書かれていたら、すごく貴重なものだ!と驚くだろう。 残念ながら、それが本物だと証明できれば、の話である。
もちろん鑑定団的なところに依頼して、紙質や筆跡、インクの種類など 色々な方法で調べてもらって「これは恐らく本物だろう」という鑑定を受けることは できるかもしれない。 100%ではなくて恐らく本物だろう、という鑑定であれば その小説の中身自体は誰もが読んだことのあるようなものであっても 文化財的な意味でも、コレクター的な意味でも非常に価値があるものになるだろう。
そして、もしこれがNFTであったなら 「間違いなくこれは本物です!」と証明されるわけだ。 ※ 繰り返しになるが著作権者とNFT製作者が同一であったり 明確な契約によって同意が得られているという前提の話。
ということは、今デジタルアートの作家さんがNFTとして出した絵のデータは 10年後に「あの画家が初期にNFTで出したデジタルアートだ」という 絶対に間違いない証明書付きのデータとして評価されるわけなので 将来的に価値が上がるんじゃない?という期待があってもおかしくはない。
人間の価値判断とはそういったものである。
よくある「ビルゲイツが仲間と作った初期型パソコンの試作品」みたいな ものが出てきたときに、当たり前だがそれより遥かに高性能で便利なPCが 世の中にあふれ、安く手に入るとしても 「あのビルゲイツの初期の!これからすべては始まったんだな!」と その試作品は高い価値を得るだろう。
NFTはまだ始まったばかりの技術である。 そんなものに価値はないよ、理解できないよ、という人がいても当然だと思う。
いや、そもそもゴーギャンであろうがベクシンスキーであろうが 本物で世界に1枚だろうが、絵なんて価値がないよ、みたいな感覚の人もいるだろうから ここで人間の価値観の幅を論じても意味はない。
しかし、同時にそこに高い価値を感じる人がいても何の不思議もないし 5年後10年後にどんな価値が見出されているかなんて誰にも分からないのだ。
日本で初めてのテレビ放送で映った映像は「イ」だったと思うが ただの「イ」かよ、今は4Kだぜ!と思う人もいるかもしれない。
しかし、あの「イ」から始まり 日本のテレビは、多くの笑いや感動や時に大きな問題を生み出してきたわけだ。 誰が予想できただろう。
NFTを今作る、そして購入する際の動機は人それぞれだろう。 「将来すごい価値になるから」と考える人もいるかもしれないし 「今ブームだから買ってすぐに売っても儲かるぞ」という人もいるかもしれない。
でも私は少し違う。 「将来凄い価値になるくらい発展して欲しい」とでも言おうか。 例えば道端で絵を描いている人、歌を歌っている人を応援するときの気持ちに似ている。
「将来大物になれば、この絵や手作りのCDはすごくプレミア価格になるかも」 という気持ちで応援するわけではなく 「将来それくらい大物になれるようにがんばってね!」という気持ちで今を応援する。
NFT出してみたいけど…興味はあるけど… デジタル作品を表に出したいけど盗作とかいやだし…
そんな人と協力して今努力したことが ひょっとしたら将来高い評価に繋がるかもしれない、そうなれるようにこれからがんばろう と思えたら、それだけで今動くことの価値、つまり意味ってあるんじゃないだろうか。
そんなわけで、NFT発行を友人であり 人形作家でありドット絵クリエイターのまさお(masao)氏と動き出してます。
というか私の知識、技術不足で滞っていて申し訳ないです…
またこの場を借りて、NFT製作やその関連作業について 非常に丁寧にご助言などくださっている カルダノ Cardanoのステークプールである
SAKE poolさん、ZPNGさんに感謝します。
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