フイルムで記録の記録
- Giro
- 5月14日
- 読了時間: 3分
そもそもカメラとは記録の為の機械だと思っていて
その場での光の記録であると同時に
その時、その頃の光景の記録でもある。
前者は、光学機械という意味であり
後者は、周囲や自分自身、あるいは旅行などの経験、体験の
思い出、記憶の補強的な意味合いでの記録である。
私はフイルムカメラを使う際に
今日1日で撮りきるぞ!というのは仕事でもない限りしないので
何週間、場合によっては何か月かけて撮りきることもある。
だから、今入っているフイルムには
まだ冬に撮った写真が現像されずに残っている、という可能性もある。
以前何を記録したか、という記録が、フイルムには残っているのだ。
もちろんデジタルデータでも同じことではあるのだが
撮った瞬間にデータが発生していて、遅くとも撮った日か次の日にはPCに転送している デジタルとはその辺りの感覚が一番違う。
リアルタイムとアーカイブ、生放送と録画放送そんな感じの違いである。
少し前に現像に出したフイルムを見てみよう。
Nikon F3 にPortra160を入れ
レンズは主にフォクトレンダーのULTRON 40mm F2を使っている。

神戸市灘区を散歩した時のもの
絶対的に最新のAFレンズを付けたデジタル機の方が楽なはずなのに
なぜかスナップはF3の方が楽しい。
ピントが合っているのかやや自信に乏しくとも
ピントが甘かったか、というのもその時の記録になるからかもしれない。
これが最新機種だとAF精度悪いんじゃない?と機材性能やトラブルを心配してしまう。
歩道橋の上から

街の風景、その頃の車、そういったものも「記録」である。
30年後に見たら、ガソリン車がこんなに走ってるなんて!
と驚くことになるのかもしれないし、街並みも大きく変わっているかも。
街角にバイクが止められていてカッコいい、と思ったが よくよく見ると違法駐車の模様。

数週間後に行ってみたら、撤去されているかもしれない。
でも確かにこの時はバイクがここに置かれていた、という記録である。
家の周りで写真を撮る時は、庭の草木や野鳥を撮ることが多い。
この季節はこんな花が咲いていた、という記録にもなれば
この時期はこういう鳥が来ていたんだなぁ、最近はめっきり見ないけど
みたいなこともあるだろう。
特に春先は、梅→桃→桜と
1週間から10日毎くらいに満開になる花が移り変わっていく。
木や花を撮れば、後で振り返った時にいつ頃撮ったものかも分かりやすい。

梅の花が散っている。
フォクトレンダー全般にそうだが なかでも、このUltron40mmは使い勝手が良い。
MFレンズだが設計がそうであるように、写りは現代的で
普段現代のAFレンズしか使わない、という人でもピントを詰める楽しさが増すだけで 決して使いづらいとは思わないだろう。

f2で、しかも寄れるのも売りなので
思いっきり寄ってみようか、絞りは開放にしようか2段くらい絞ったらどうだろう
と考えながら撮ってみるのが楽しい。
散った花は溝に溜まっていく。
水は低きに流れるが、花もまた同じである。
いつかこの梅の木が枯れたり倒れたりすれば、こんなに花が咲いていたんだよ
という記録写真になるかもしれない。
そして全ての写真は、私がいなくなった後には
「あの人はこんな写真を撮っていたんだ」という記録にもなる。
見てくれる人がいれば、ではあるが。
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