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F3と共に原点回帰する

執筆者の写真: GiroGiro

3月に非常に大切な撮影があった。

今までと違い動画撮影も含む内容だったこともあり 依頼者の希望を汲み取ることはもちろん カメラとは、レンズとは、など色々と深く考える機会となった。



が、考えても考えても終わりがないし答えもない。


答えが無い中で、遠くにぼんやりと見える 恐らく答えらしきものにどうやって近づくか というものを考え続ける禅問答のような日々だった。




さて、そのさなかにあって 正直に言えば、自分自身迷宮の中を手探りで彷徨う気持ちになり なんでカメラなんて使ってるんだろうとすら思う瞬間もあった。



その時思ったことが 「すべてが終わったら、一度原点に戻ってみよう」 ということだった。

そう思うことで迷宮の中を彷徨いながら ゴールは分からなくても、戻る場所は定めることができた、ともいえる。





さて、以前にも折に触れて語っているが

私のカメラの原点は、父が使っていたキヤノンAE-1である。


1976年発売開始、当時としては珍しいが その名の通り「AE」(Auto Exposure=自動露出)のカメラである。


カメラの露出(簡単に言えば明るさの調整)は レンズの絞り、シャッター幕の開いている時間(動く速さ)、フイルムの感度

この3つでほぼ決まる。


あえて狙ったのでなければ、これらの組み合わせが悪く 明るすぎれば露出オーバー、暗すぎればアンダーと呼ばれる。

一言で言えば、失敗写真だ。

絞りをこう設定してこのフィルム使ってるなら

ちょうどいい明るさ(適正露出)にするにはシャッタースピードはこれくらいだね、と

カメラ側が判断し自動で決めれば、そういうこともなくテンポよく撮影もしやすい。


AEとはそういう非常に便利で革新的な機能だ。

(もちろん今のカメラにはほぼすべてこの機能がある)




さて、話を戻すと、そういうフイルム一眼レフ機の ある意味で新時代の幕開け的な立ち位置のAE-1が家にあったことで カメラってすごいなー面白いなーと素直に思えた。


これが我が家にあったのが、AE機能もない露出すら完全に自分で決めなければならない フルマニュアルのカメラだった場合は、ひょっとしたら なんだせっかく写したのに真っ暗、真っ白連発で全然撮れないや つまんないの、と思って興味を失ってしまったかもしれない。



というわけで原点回帰しよう、と思った時に頭に浮かんだのは このAE-1で久々に撮ってみる、ということだった。


恐らく処分はしていないはずなので探せば見つかるだろう。

ただ、AE-1を今使ってみたいか、と言われるとなんとも微妙な気分でもあった。




というのは、私は元々カメラ(特に一眼レフ)の機構って面白い!と思ったのだが 次第にレンズってすごい!という風に感覚が変わってきた。


AE-1と一緒に眠っているレンズは何があっただろう… と思うと、あまり興味が湧きそうでもなかった。 ということで、せっかくなら数多あるニコンFマウントレンズを使いたい。 じゃあ当然ニコン機か。 原点回帰しつつも、変化してきた自分の感覚を持って回帰するなら それしかない、とも思った。 20年ぶりに母校を訪れて、机ってこんな小さかったんだ、みたいなアレである。

というわけで、色々なことも考えて、出費も抑えつつ考えた結果こうなった。

ニコンF3 (HP)


レンズには以前購入したAi化した55mm f/1.2

ちなみにこれもAEモード(今でいう絞り優先A)がある。 おお、いいね。。

フイルムカメラをしっかり使ってみるのは随分久しぶりで 思わずネットでマニュアルなど探してみたりしながら フイルムを装填し巻き上げ、撮影してみる。 残念ながらこの記事を書いている時点では まだフィルムを使い切っておらず現像できていないので 仕上がりは分からない。このドキドキすら懐かしい。



並べてみよう。

新旧ニコンフラッグシップ(D6に対しては言いたいことはあるが)である。

こうやってみるとさすがに小さい。 だが持った時のずっしりとした重さ、質感はさすがに当時のフラッグシップ。

実はF3にはチタンボディのF3Tという機種もあるのだが そちらはさらにまた違った質感の良さがあるのだろうな、と考えるのも楽しい。 さて、久しぶりのフィルムカメラ、まさに原点回帰である。


Fマウントで絞り環のあるレンズ、ということで上の55mm以外に

Voigtlander ULTRON 40mm f/2

Voigtlander Nokton 58mm f/1.4 や

Tamron 90mm f/2.5 SP 52BBなど幾つかのレンズを試してみたが

勿論どれもMFということもあり、撮影一枚ずつのテンポが非常にゆっくりだ。


撮影に移る前のフイルム装填、空シャッターなどの儀式はもちろん いよいよ撮影となっても、ファインダーを覗き、ピントを合わせ シャッターを切り、そしてまた巻き上げ… ベタな話だが、一枚ずつ、ワンショットずつの重みが違うような感覚。 といっても、私の場合はデジタルの方で 半年で20万ショットだとか25万ショットだとか平気で撮ってるわけで そんなのと比べても…と言われそうなのであまり説得力はない。 とはいえ24枚撮りのフィルムをまだ使いきれていないのだから驚きではある。


うまくは言えないが、純正AFレンズを使っている人が

たまにツァイスのMFレンズを使う時に感じるような あるいはマクロレンズで非常にシビアなピント調整をしている時のような シャッターを切る瞬間までの集中の度合いみたいなものは確実に違う。

何が良いとか悪いとかではない。 今の時代にあえてフイルムカメラを使うなんてお洒落でしょ、みたいな話でもない。 カメラとは、レンズとは、光とは… 自分の原点に立ち返るために、必要な時間だったのかもしれない。


写真家を目指す気も、フィルム派に移る気もないし

これが仕事に直接活きるとも思えない。


これからも私はデジタルで連写しまくることをメインに 仕事として、お金を得る手段として撮影をするだろう。



だが、もしまた迷宮の中で彷徨っている感覚に捉われた時に

いつでもスタート地点に戻れるんだよ、と教えてくれる存在が 身近にいてくれる、そんな頼もしさを感じる。




これからF3は、私のリセットボタンになってくれるかもしれない。

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