先日、ある方の結婚式、そして披露宴に友人として参列させて頂いた。
上記のように名前はあえて出さないが 7年以上の繋がりがあり、そして御本人さんはある業界においては 私なんかよりよっぽど見事なカメラマンとして活躍されておられる。
7年といっても、完全にお互いの連絡先も知らない所から始まり たまたまのネットでの再会、そして年に数回はお会いできるようになり (お会いした際には撮影も兼ねていた) そして結婚するという事を知り、今年の3月には 前撮り(でいいのだろうか)の撮影を依頼して頂き、今回の参列、と 紆余曲折があったわけだ。
カメラマンという立場から 3月の前撮りを振り返ると、まず事情を聴いた時点で 非常に光栄である嬉しさと共に 正直に言えば「ちょっと厳しそうだな…」と感じていた。
というのも、十二単という非常に特別な衣装で そして撮影場所も某日本庭園のある会場をお借りする、ということ。 つまり、その時その場でしか撮れないし撮り直しが効かない。
かといって、事前に下調べをしたり、リハができるわけでもない。
撮影スタジオのように自由に光が作れる環境ではないので 当日の天候にかなり左右されるが、その時まで読めない。
そして撮影は 私以外に貸衣装屋さん?の専属カメラマンもいて 私はフリーの立場から。
会場・衣装の時間が決まっているので 確実に時間内に終わらせなければならない。
そして、その会場というのが、うちから特急を使っても片道3時間半はかかる。 遠距離移動は、疲れるとかそういう話ではなく 単純に機材の運搬に制限が出る。
考えなしに大量の機材をペリカンボックスで持ち込むことはできても その会場内で自由に置けるのか、展開できるのか、というのが難しい。
などなど、理由を上げればキリがないが
普通に考えると、なかなかハードルが高い。
しかも、一生に一度の記念に残るものなのだから とりあえず及第点をめざす、みたいなこともできない。 極力ベストに近づけるべく最善を考えなければならない。
と思っていたら、できれば動画撮影も、という話になった。
最近のミラーレスカメラは動画撮影機能も充実している。
音さえ気にしなければ、使い方によっては十分に簡易シネカメラの用にも使えるが
使い方によっては色々と気も遣う。
カメラ側を大きく動かしたり並走したりするなら
手振れ補正は? ジンバル、スタビがなければならない。
固定に対して横の動きを出すならスライダーのようなものもいる。
いや、そもそもレンズの特性も出やすい分
画角、画質、奥行きなどなど考えだすとかなり選択肢が多く迷う。
読み出しレートの問題でカメラを振ったり
被写体が動く際にはコンニャク現象が起きる危惧もある。
(今となってはこの時にZ9があれば、と思う。なお私の機材はZ6Ⅱ)
ベストを尽くしたい、と思うからこそ 難しさ、悩ましさを感じたのは事実で 正直撮影自体よりも、その前の準備段階でかなり参ってしまっていた。
とはいえ、自分の役割を果たす以外にない。 そんなわけで3月の撮影に挑んだ。
なお、機材は動画も見越して Z6ⅡにはZ 24-70 f2.8 出たばかりのZ 50mm f1.2 スチールではやはり強いD850に 58mm f1.4 105mm f1.4の3次元ハイファイコンビ ポートレートでは鉄板 これに、会場の当日の光の状況は読めないが 念のため使い勝手の良いprofoto A1Xをコマンダーで。
実際に撮影が始まると、とにかくフル回転という感じだった。
もう一人のカメラマンさんが記録的に押さえているので そちらの邪魔にならない位置から105mmで切ったり 隙を見て50mmで近づいたり、とにかく間合いが難しい。
広い和室は奥側は光の周りが悪く、手前側は大きな窓から光が差し込む。
そしてその光は雲の流れで毎分毎秒変化する。
流れがあるので、広い和室で撮っていたかと思えば 次は屋外で、狭めの茶室で、と状況は変わるが すべてぶっつけ本番である。
動きの展開が早い場面では24-70 f2.8は万能に非常に使い勝手が良い。
Zユーザーならとりあえず持っておいて損はない良いレンズだと思う。
屋外でいい御庭だと思ったら、後ろには現代的なマンションが入る角度だったり (もう一人のカメラマンさんは脚立で上から撮っていて さすが場慣れしているなぁと感心したが、どちらにせよ荷物の都合上無理な話であった)
茶室の中はかなりの暗さで差し込む光との明暗差は相当なものだった。
私の普段の仕事であれば、依頼者の理想に近づけるのが自分の役割だと思っているので 自分の感覚よりも依頼者の感覚を絶対的に優先する。
例えば茶室のシーンなら敢えて影になっている御二人を撮るのか 光で起こしてあげるべきか、くらいのことから細部に至るまで 色々と人それぞれ何が良いかは異なるのでその摺合せが重要なのだ。
しかしそれをトライ&エラーしながら こういう場面ではどういう写真を残したいか、を随時確認する時間もない。
更には動画である。 カメラを派手に動かすとどうしてもコンニャク現象が出るので あくまでのちに編集入れるための素材撮りということで 極力三脚固定でカメラ自体は動かさず、画角や露出に搾って 要求されたカットをこなしていく。
三脚は運搬や設置に制限があるので小型のものを用意し 当日までにスムーズにセッティングできるように繰り返し操作して慣れる。 要するに、これぞ「カメラマン」の仕事である、というのを体現した 内容、現場であって。
こういう時に「自分のセンスを見せてやろう」だとか 「こういう切り取り方できるんですよ」なんて自分のアピールは 全くもって必要ない、すべては依頼者の望みをかなえるべく…!である。
そのために必要な機材を準備し、慣れておき、状況判断しながら選択する。
それが自分がどれくらいできたのか、といえば自分自身には分からない。
単純にいえば、あー今ここだと光がこうだから あと20分くらい経って陽が動いてからの方がよさそう みたいなことを感じても、私の作品集や個展のための撮影ではないのだから 状況に合わせてその都度のベストを尽くし続けるのが役割なのだ。
さて、そんなわけでとにもかくにも時間内に撮影を終え 写真・動画のデータを送って私としては役割は終えた。
そして、8カ月経って、幸いなことに新型コロナもある程度の落ち着きを見せ この度11月の挙式となった。 これも事前に確認はしたが、あくまで「友人」としての参列である。
勘違いしてはいけないのは 「式の様子を撮ってと頼まれたカメラマン」と 「式に参列する友人でたまたまカメラが使える人」とは全く役割が違う。
こういう時に変に勘違いして気負うと 式や披露宴を見守り、お祝いし、楽しませて頂く立場を忘れ 終始カメラを構えて忙しなく会場内を立ち歩き 周囲の人、つまり他の参列客の方々にまで気を使わせるようなことにも なりかねない、それは絶対に避けなければならない。
そこで一応は記念の写真を撮らせて頂くが それは他の方がスマートフォンやコンパクトデジカメで撮るのと同じであり 出しゃばりはすまい、と決めた。 (その目線で機材も選び、縦グリップを外したZ6Ⅱに24-70のみ)
そして披露宴の最中は立ち歩いての撮影は絶対に行わない、と決めた。
さて、当日、特急列車での移動で 実に数年ぶりのフォーマルな恰好だったこともあり やや肩がこるというか気疲れを感じながら会場入り。 おかしい、全く主役でもなんでもない一列席者であるのに 気疲れというよりも、なぜだか妙に緊張している。
ああ、人見知りだから、一人でこういった場に来たことで 緊張しているのかな、と思ったが、実のところ 頭の片隅ではずっと気づいていたのである。
つまり「3月の撮影の成果が今日分かる」ということに。
会場では、数年ぶりにお会いする方との再会もありつつ また挙式では、たまたますごく座席位置がよかったこともあり 場所を動かずとも少し撮影等させて頂きと 自分の役割に沿った行動をしていたつもりだが 心はずっとざわざわしている。
そしてつつがなく式が終わり、披露宴会場へと移り オープニングムービーが流れた…
その瞬間に、これはオーバーでもなんでもなく 一気に体中の力が抜けるのを感じた。
ムービーでは3月の撮影での写真、動画が多数使われており 新婦(友人)自らの編集によって見事なムービーに仕上がっていたのだ。
やっと、終わった…
めでたい場での変な言い回しではあるが、心の底からそう感じた。
当たり前だが、この日の私の役割は、友人としての参列である。
当日の撮影係でも、3月の撮影の成果を届けることでもない。
カメラマンというのは基本的に裏方の存在だし(写真家さんは別だが) このムービーを見た人に「これ私が撮ったんですよ」なんてアピールは 全くもって場違いだし、する気もない。
だが、3月の件についての撮影の依頼を受けた時から 光栄な任を仰せつかったとは思うものの、なんとも難しい内容だとも感じ そして3月の撮影当日も、難しさを実感しながらベストを尽くすことに終始した。
さらに、終えてからも「結局のところどうだったんだろう」という不安は 常に付きまとっていたし、むしろ日ごとに大きくなり、依頼者からは 「他の人に頼めばよかった」と思われているかもしれない、とすら感じていた。
当たり前だが、結局のところは誰にも分からない。 他の人に頼めばもっと違ったものがあった、そっちの方がよかった、と言われても 証明はできないし、もちろんその逆もしかり。
だが、こうしてムービーとして完成されたものをみると ああ3月に、そしてそれに至るまでにやったことは間違ってはいなかったんだなと 深く感じ入ったのである。
正直、このオープニングで一気に脱力した私は その後はなんだかふわふわしていて、ある意味では誰よりも 力を抜いて披露宴を楽しめていたのかもしれない。笑
なお、後になって気が付いたのだが 会場入り口にウェルカムアイテムが並んでいる場所にも 3月の撮影で撮った写真があったり、新婦のプロフィールが記載された所でも 私が以前撮ったポートレートが使われていたりした。
(後になって気づくくらい、それまでは緊張が強かったのだと思う)
さて、そんなこんなで披露宴も無事に終わりが近づき いやー良い御式でした、なんてすっかり気楽な立場を満喫していた折に エンディングムービーが流れた。
挙式、披露宴と会場スタッフさんがけっこう本格的なビデオカメラを使って 撮影しているのは知っていたが、なんとそれは当日中に編集して エンディングムービーで流すものだったらしい。
こちらはこちらで、自分たちの役割を果たしたプロフェッショナルであり その仕事の速さに感嘆した。
が、実のところ、ここでちょっとヒヤッとしたのが 式での指輪交換の場面では、カメラを構えて居る私が後ろにしっかり映っていた。
目立たぬよう、邪魔にならぬよう、それが今日の自分の役割だ、と 強く意識していたにもかかわらず、やってしまった。
幸い友人からは後ほど「当日もカメラを向けている姿が写っていて感動した」 といってもらえたので、なんとか整ったのだが、反省である。
そんなわけで、趣向を凝らした披露宴の内側などは 私があれこれ語ってもしようが無いので、今回はあくまで式に至るまでと 式当日の自分の役割の違いなどを中心に書いてみた。
カメラマンというのは、大変なことも多い。 それは1から10まで自分で完結できないからだ。 相手(被写体、物、自然など)がいて、依頼者がいて 様々な条件がある中で、それでも依頼者にとってのベストを目指す。
良い仕事ができたかどうかは自分自身ではいつまで経っても判定できない。 そしていい仕事ができても、自分自身が表立って評価されることは稀である。
しかし、少なくとも今回の私は 披露宴を彩る一助、という役割はしっかりと果たせたのではないだろうか。
3月の撮影と、当日の参列によって。 それこそが、自分の誉れであり、何よりお祝いの気持ちを示せたのでは、と。
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