先日、京都にてポートレート撮影をする機会を頂いた。
基本的に人を撮らない(撮る機会のない)私にとって
今や唯一人と言っても良い、モデルさんとの撮影である。
モデルさんというのもよそよそしいが、名前を出して良いものやら
今のところ了承を得ていない以上、今回はこういう書き方で通そうと思う。
そもそも私は人見知りで、人と会うのも苦手だし
会ってお話しするような友人ですら非常に少ないので
こうしてお会いして頂けるだけでもありがたいことなのだ。
場所をおまかせしたところ、京都の北山にある植物園になった。
お洋服のコンセプト等もあるので、こうした場所選びも決めて頂けるのはありがたい。
アマチュアである以上
何らかの作品集作りでもするのでなければ
撮る側というのは、極力モデルさんの意思を尊重すべきだと私は思っている。
場所もコンセプトも全て決めて頂ければ、その中で自分の最良を目指すのが
私には合っている。そういった点でも非常にありがたい。
植物園では入園して直ぐにコスモスが出迎えてくれた。
我が家の裏庭のコスモスはすでに枯れてしまったので、なんだか少し懐かしい。
今回私は機材を絞ってきた。
前回、真夏の京都での撮影では、あえて超癖玉のMFレンズで
眩暈のするような日差しと、そこで出会う白昼夢のような画を捉えたかったが
今回は少し肌寒くなり始めた秋である。
それなら多少の周辺光量落ちは味として
少し陰があるような場面にも使えそうなものを…
とはいえ、私自身の機材への好みもあるので
いつもの AF-S NIKKOR 105mm f/1.4E ED は外せない。
寄ることも想定するとTamronの45mmも持って行った方が無難だろう。
カメラは一瞬X-H1も考えたが、それほどレンズも持っていないので
やはりD5とD850にした。
D5はどんな条件でも信頼して使えるし、D850の超高画素は
しっかりとしたレンズできちんと撮れば、非常に高精細な描写になる。
また、植物園のような広い場所なら、引きで撮った写真は
最終的に大伸ばしにプリントするイメージでも使える。
しかし、レンズが少し偏っているので中間域が欲しい。
そこで 今回の為にAF-S NIKKOR 58mm f/1.4Gを用意した。
同じNikkorの105mm f1.4を非常に気に入って愛用しているが
その1つ前「3次元的ハイファイ」の初代がこの58mmなのだ。
※「3次元的ハイファイ」とは
既存の解像度やコントラスト以上に、2次元である写真で
いかに3次元的な立体的な描写が出せるかを重視して設計されたレンズ
58mmが出た当初、あまりにばらばらの評価にしり込みしてしまい
買わずじまいとなっていたが、今回撮影が決まった時に迷わず購入した。
せっかくの撮影の機会を頂いておきながら機材を言い訳にしたくなかった。
できる準備はしておくに越したことは無い。
結果的にこの選択は大いに正しかった。
D850はこのレンズをほとんどつけっぱなしで使うことになったのだ。
さて、植物園の中は、紅葉の季節にはまだ早く
どちらかといえば緑の深さを感じるロケーションとなっていた。
メインとなる大きな通りは広く、人もそれほど多くなかったが
少し小道に入ると、まるで林、森の中と言ってしまえるような雰囲気があった。
薄暗いところは良い。
光が当たる場所とそうでない場所との対比が美しいし
そういった明暗差の激しいところこそ、ダイナミックレンジの広い機種には
表現力が活かしやすい条件となる。
とはいえ、ポートレート撮影なので
モデルさんのお顔にだけ光が当たりすぎていたり、部分的に陰になったり
ということが何度かあって、少し難しさもあった。
それもまたカメラの楽しさである。
さて、今回モデルさんは黒のお洋服を主体に
やや青みがかったグレーの髪と、以前私の方が贈った蛇ソックスといった装いだった。 肖像権の兼ね合いもあるので、後ろ姿、ピントをあえて外したカットで。
この黒&ブルーグレーという装いと、草木の緑が非常に合って、素敵な雰囲気。
大口径レンズらしい周辺光量落ちと、ボケから浮かび上がる立体感との
描写と、世界観が非常にマッチしていて、自分で撮っていて
「ああ、今まさに自分の好きな写真が撮れている」と感じることが何度もあった。
元々、撮影自体に愉しみを感じない私にとっては非常に珍しいことである。
今回改めて思ったが、こういった撮影が楽しいのは、モデルさんのおかげでしかない。
お洋服とロケーションとのマッチング、そして表情やポージングなど
すべて任せっきりにしてしまっても、素晴らしいものが次々と撮れたのだ。
私は機材を選択し、その時々で良いと思われる設定と構図でシャッターを切るのみ。
そして、楽しいひと時はあっという間に過ぎていくのだった。
撮影を終え、植物園を出て遅めの昼食を摂った。
疲れもあり、先月からの酷使で痛めた手首や肘は、ふとした時にまだ痛みが走ったが
それ以上に大きな充足感があった。
写真を撮ってこういう気持ちになることは決して多くない。
全てに、感謝しかない。
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