twitterでもちらりと書いたのだが なぜかここ最近、異性装的な話が何度か出て ちょっと思うところがあるので、作業の合間に少し書いてみる。
(プロ・アマ問わず)
カメラマンに撮ってもらいたい、と思う人の理由は様々だろう。
私自身に今まで来た依頼を振り返っても色々だが 例えば今まで伸ばしてきた髪を切ろうと思うので その前にこの姿を残しておきたくて、みたいなこともあれば こういうのに応募するのでそのプロフィール写真に使いたくて等々。
晴れ着などのこの時しか着れない姿を残したいという方もいれば
この前買った服がお気に入りだから撮ってください、くらいの方も。
私自身はポートレートが、メインというわけでもなければ
いわゆる写真家さんのように独創的な世界観を形にするわけでも セットを組んだりメイクさんを雇ったりオリジナル衣装を作ったり みたいなことをやって撮るわけでもないので そういう要望が来れば困ってしまうし、どうしても折り合いがつかなければ お断りすることもある。
しかし「実は性別はこうなんですが…」とか
「異性装になってしまうんですが…」という形で相談されると 変な言い方だが「はあ、それで…?」となってしまう。
それくらい、この手の話には理解が及ばないというのか 関心が無いというのか…(あえて悪い言い方でいえばだが) むしろ「それじゃあダメです!」となる人の気持ちが全く分からない。
考えても見れば、恐らくは数十年前まで 日本では女性がジーンズを履くことも異性装だったのではないだろうか。
しかしその当時、そしてもっと以前から スコットランドなど、世界中を見渡してみれば 男性がスカートタイプの服装をするのが民族衣装として 確立されている地域もある。
・この服装に性別規定があるのか?
(かなり以前に撮ったポートレート。首上カットでの掲載許可を得ています)
要するに「この服は男性用or女性用」だとか 「この性別の人がこれを着るのは普通ではない」だとか そんなものは時代と場所によっていくらでも変わるのではないだろうか。
私自身は、残念なことに服装やファッションへの興味というのが 恐らく脳細胞単位でまったく欠落しているのか 3歳くらいから学生時代を経て今に至るまで、全く無知無関心のまま来てしまった。
(あくまで自分自身が着用するにおいて)
そんな私からすれば 「この服を着てみたい」「この服が好き」という強い思いがあるだけで素晴らしいことだし そんなお気に入りの服を着られたなら、鏡を見たり写真を残したりしたくなる というのもすごく自然な意識だと思う。
そんな人に向かって「あなたの性別は~」なんて言う輩がいたところで
「あんたの先入観やルールを押し付けないでくれ」と言い返したくなる。
そもそも、性別という考え方自体がややナンセンスに感じていて 人類を男性・女性と2つに分けるのって合ってるの?と常々思っている。
いわゆる肉体構造で考えても、AとB、◇と△のように 人間の体は2種類しかないわけでもないし 感情、感覚、思考に嗜好とそこに更なる要素が加わっていくわけだ。
そんなものをいちいち分類して この人はA◇型のRパーセンテージが高めかつ〇寄りで $感情を強く持ち^感覚に秀で*思考でしかもΣ嗜好
みたいなことを言っていくのか、といえばバカバカしいとしか言いようがない。
ありきたりな言い方で言えば一人一人が異なるのが人間で なんでわざわざそれを分類していかなきゃならんのか、等と考えたくもないし 更にはそれに合わせて 「あ、あなたはこちらですか、じゃあこれ着てください」 みたいなことを誰かに決められるとしたら、なんとも息苦しい話である。
そんなことよりも自分が好きなものが見つかり 「自分はこれが欲しい」「自分はこれを身に着けたい」と感じたなら それに従った方がよほど心の豊かさにつながるだろう。
現実的な問題として 公衆浴場やトイレなどの使用において どうしても分類が必要になる場面があるならそれを話し合うのが社会というもので そういった具体的な議論に関係なく、人の服装に横からやいやい言いたいのは ただの無責任な嫌がらせ行為にすら感じてしまう。
さて、そんなわけで冒頭に戻るが 私自身は服装や性別で依頼を断るようなことは無いし 正直に言えばあまり考えたこともない。
単純に個人的な興味関心の意味で、より撮ってみたいと思うか あまり気乗りしないか、みたいな事はあると思う。
それにしたって ①ジュ〇ンボーイ的なお洒落なファッション雑誌風のカジュアルな服装
②素浪人や博徒の如き渋い着流し
なら②の方が撮ってみたい!となる、くらいのものである。
ちなみに以前も書いたことがあるように こだわりや文化的な背景含めてロリィタ文化は昔から敬意をもっているので そういう依頼なら「あ、それはぜひ撮ってみたい」とは思う。 とまあそんな話である。
ところでこうした性別感や服装の性別規定のような話
いったい人はいつどこで身につくのだろうか?とかねがね疑問に思っていたが
最近、少し答えに触れた気がする。
4歳の姪が幼稚園に通うようになってから 「あのね、ピンクは女の子の色で、青が男の子色なんだー」みたいなことを 唐突に言い出した。
要するに幼稚園の帽子だったり鞄だったりシールだったりという その程度の話なのだが、正直怖いな、と思った。
当たり前だが色に性別はない。 色というのは光の波長でしかないからだ。
しかし姪の通っている幼稚園というのは この令和の時代になっても、男の子のアイテムは全て青系 女の子のアイテムはすべてピンクや赤系、となっているらしく そういう形で刷り込まれていくのか、と怖くなった。
じゃあ黄色は?緑は?紫は?と 色々突っ込みたくもなるが、姪を詰問したところで何もならない。
私はぬいぐるみもプラモデルも好きだし かわいいキャラクターが付いた小物に心躍りつつ モデルガンや工具類も好きだ。
そういう生き方をみせていくことで そんなくだらない植え付けられそうな性別感なんて 無視していいんだよ、と思ってもらえたならと思う。
色に性別はないし、趣味嗜好にも服装にも性別はない。 そして性別という考え方自体が果たして正しいのだろうかとも思う。
心配しなくてもいい。 少なくともカメラや写真に性別はないし、光にも性別はない。
光をレンズを使ってセンサーやフイルムに届け 一枚の写真(データ)にするのがカメラという機械であって それ以上でも以下でもない。
カメラは光を使う、という時点で 世界でも有数の「公平な機械」なのだ。
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