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冬枯れの庭で

執筆者の写真: GiroGiro

寒波が訪れるたびに、このまま冬眠して春を待ちたい、と思ってしまう。


寒さは人から、何かをしようというエネルギーを奪っていく気がする。



しかし恐らく私は、猛暑は猛暑で

「暑すぎて何もする気にならない」と言うだろう。


いい加減な人間なのだ。





望遠レンズを振り回す撮影の後は

カメラ片手に庭をのんびり歩くことでバランスを取っている。





この時はZ9にZ 135mm f/1.8 S Plenaを付けた。


庭の入り口にゲートがあり、そこに薔薇を伝わせている。

お世辞にも上手くいっているとは言えないが、シーズンには鮮やかな赤い花を見せ そして香りでも楽しませてくれている。


しかし、今は真冬だ。



植物は生物か、という時、生物を動物のように自らの意思で動き回るものかどうか というのが念頭にある気がする。


植物が動くかどうかはさておき

ある種の動物や昆虫の中には自分の意思で動き回らないものもあるので、結局その線引きには意味がない。


ただこうして枯れた花を見ると、生物的な死を連想してしまう。



あまりに印象的だったので、しばらくこのアーチの周りをぐるぐる回っていた。




当たり前だが、写真は3次元のものを2次元でしか出力できず

光を伝えることしかできない。


言ってしまえば色や明るさ、その濃淡の組み合わせでしかない。


間違っても匂いや音を伝えることはできない。



しかしなぜか、写真からその場の音が伝わることがある。


交差点で人の多さや車の往来を撮ればなんだか喧騒が聞こえてくる気がする。


冬の写真からは、独特の静けさや肌寒さが伝わってくる気がする。


伝わってこないなら私の腕の問題なので気にしなくて良い。




plenaらしい大きな前ボケを活かして別の薔薇を。



寒い庭で撮っていたのに、なんだかほんの少しだけ春の訪れを感じた。

 
 

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