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ふあふあの年明け

2019年の年明け、昨年末からのなんやかんやとした予定を

どうにか乗り越えたと思った1/3の夜に、なぜか急激に胃がおかしくなり

一切の飲食物を受け付けなくなり、そこから1日以上寝込む

というなんとも冴えない幕開けとなったが どうにか回復して1/5の展示には、無事行くことができた。



大阪ニコンサロンで1/9まで開催している

インベカヲリ★氏の「ふあふあの隙間」である。


私のインベさんファン歴は長い、かれこれ10年にはなる。

と書こうと思い、念のため調べてみたら、どう短く見ても12年は超えているようだ。 とにかく長い。 奇妙なことに、最初のきっかけは覚えていない。


氏のサイトを偶然見つけたのだったか

「取り扱い注意な女たち」を読んだのが先だったか




調べてみたら絶版で、ちょっとプレミア価格がついていた。



写真も文章もおもしろい、すごい、と

とにかく知った直後からすぐに夢中になったのだった。


2008年に大阪ニコンサロン(bisだったかな?)の 「倫理社会」 を観に行き

初めて本人とお会いし、最初緊張のあまり一言も喋らずに帰ろうとしたのを

どうにか勇気を振り絞ってお話させて頂き、それから何のかんのと縁があって

月日が経ち、基本的にはお会いする機会もめったにないにも関わらず

今もどうにか顔は覚えてもらっている、くらいの繋がりではある。

本当にありがたいことだ。

実は2回ほど撮ってもらったこともある(その内の1つは多分まだネットで観れる)





そんな話はどうでも良い。

今回の展示の面白い点、それは何といっても

インベさんがデジカメを使って作品撮りをした!ということだ。


インベさんと言えばペンタックス6x7

いかにも中判、というフィルムカメラで、大きく無骨なスタイリングが

妙にインベさんとマッチしていて、撮っている姿はなんともカッコいいのである。


が、今回はD850で撮った作品群である。


ひょっとして、全然違う作品になっているんじゃ…

良いと思えなかったらどうしよう…


そんな一抹の不安を心に抱きつつも、それ以上の期待感もあった。

なんといってもタイトルが「ふあふあの隙間」なのだ。



このタイトルを聞いた時に、なんともインベさんらしいなーと思った。

そう、インベさんは「ふあふあ」している人なのだ。


作品や文章を観ると、いや、実際に話してみても

ひたすらに切れ味鋭いというか、生半可な上っ面トークはガン無視されるぞ

安っぽいウソはすぐ見抜かれるぞ、と思わせる雰囲気がある。


かといって、議論大好きな思想主義者のような意見押し付けトークではない

どころかそんなものは皆無で、なんとも力の抜けた口調や声のトーンで

ぐいぐい話をしてくるというよりは、気が付くとこっちがつい話しているような

なんともいえない、そうまさに「ふあふあした人」なのだ。


で、そんなインベさんがデジタル高画素機のD850を持った。

作品を撮って作品集ができ、展示が行われ、そのタイトルが

「ふあふあした隙間」なのだから、これは期待しないわけがない。



作品一枚一枚の感想だとか意見だとかはさすがに省略するが

まずカラフルポップなフォントと、トークショーでも出た「蛍光グリーン」


ああ、なんだよもうこれだけで圧倒されるじゃん、というインパクト。



写真集①~③まであって非常に面白い作りになっている。上記は②と展示案内



トークショーでも話されていたし、私の勝手なイメージでも

インベさんといえばフィルムカメラの人だし、デジタルは苦手そう…と思っていたが

ああ、こういうアプローチもあるのか、とただただ圧巻。


ツルツルしたプリントもすごく良い。

デジタルのやりすぎなような彩度や発色が、むしろ作品の生々しさにハマっている。



最後の質問コーナーで聞けばよかった、と後で後悔したが

今後もデジタルカメラを使う予定はあるんだろうか?


フィルムカメラのインベカヲリ★と、デジタルカメラのインベカヲリ★

私は今後もどっちの作品も観たいぞー!と強く思わせる内容だった。




さて、今回の展示から、写真の横に文章が記載されるようになった。

それは被写体の半生であったり、現状であったりするものだ。



前回のブログでも書いたが、私は説明の多いものは苦手で

幼くは絵本が苦手、挿絵の多い本が苦手だった。


文章から勝手に想像を膨らませるのが楽しいのに

勝手に模範解答を示すんじゃないよ!と思ってしまうからなのだが

それは写真も同様で、1枚の写真から勝手に広がっていく世界が好きだ。



インベさんの展示を観に行くと、私はいつも時間を忘れて写真と対峙してしまう。

それは1枚1枚の写真から、私のなかでどんどんと広がっていく世界を生むからだ。


だから、今回の「テキスト付」という展示方法には不安もあった。



しかし、これもまた杞憂に過ぎなかった。






人間は多面的な生き物である。

これは私が学生時代から肝に銘じている言葉である。


ある高校生が、クラスメートといる時、バイト先、親の前、恋人と2人きり

それぞれに合わせた違う顔を持っている。

しかし、これはどれかだけが本物で、他は演技で嘘っぱちだというわけではない。

全てトータルでこの人物が形作られているのだ。


どんなに仲のいい相手でも

自分が知っているのは相手の1面かせいぜい2面で

自分から見えない面の方が多いものだ。これは常に私が意識していることだ。



たしかに今回の展示には写真の横に文が掲載されていた。


それはある意味で「解説」や「説明」であり

写真の受け取り方の「模範解答」や「道しるべ」だったかもしれない。


しかし、私はむしろ多面的な被写体の1面を書かれたことで

なんだかざわざわと、見えない他の面について、引き込まれてしまった。

そしてそれは写真に全てが現れているようにも、全く見せていないようにも思えた。


自分が何を理解したのか、何を知ったのか、そして何を観ているのか

それがあやふやになってしまった。


奇妙な体験である。

想像を膨らませることを阻害される小説の挿絵を嫌っていた私が

写真と文を見せられたことで、却って想像が膨らみ

しかも、その身勝手な想像について疑心暗鬼に陥ってしまったのだ。




「ふあふあの隙間」


輪郭の無いものは、そもそも視認することが困難だ。


ふあふあとした柔らかい物体は、形が定まっているようにみえて

その実、ほんの少しの力で変化してしまい、却って捉えどころがない。



ははあ、そういう事だったのか、と思いながら帰路に就いた。



本当は何もわかっていないのに、ついそんな分かったような気になってしまう。



またやられた、と思った。

インベさんの展示に行くといつもこうなのだ。


お前は何も理解していないんだぞ!と思い知らされる。


が、同時にこうも思う。

何も理解していないし、理由すらわからないけど

私はやっぱりインベさんの写真が好きなんだな、と。



10数年経ってもこうなんだから、きっとこれからもこうなんだろうなと思う。


私は写真を撮ることが楽しいのかどうかは分からないが

インベカヲリ★さんが写真を撮ってる限り、写真を観ることはずっと楽しめそうだ。

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